エジプトにみる民主化革命とソーシャルメディア

 

前回の書いたブログの続編です。

チュニジアを政権交代に追い込んだ「ツイッター革命」は、ますます勢いを増して燎原の火のように中東の国々に広がっています。

今もっとも問題が大きくなっているのがエジプト。30年間続いたムバラク政権はまさに風前の灯といった状態です。イスラム原理主義との戦いを鮮明にして、強権と統制で臨んだ彼の政治姿勢は、就任直後は欧米からも理解を得ていましたが、近年ではテロが減少しても一向に進まない民主化、抑圧、高い失業率、貧富の差の拡大といった長期政権ゆえの蓄積した根深い病巣に、国民の不満が一気に噴出しました。

とくに若者を中心とした反対勢力は、チュニジア同様にツイッターとフェイスブックを駆使して反対運動を展開しデモへの参加を呼びかけ、カイロの首都機能が完全に麻痺するところまで追い込んだのです。

 

政府は混乱の中、ツイッターとフェイスブックを利用不能にしました。ソーシャルメディアから発信する国民の声を遮断することで、情報の拡大を防止し統制を取り戻すことを試みました。しかしそれは、国民は勿論、欧米など自由主義国家からの猛烈な批判にさらされ、政府の思うような強圧的な情報管理を困難にしています。

今まで自由にインターネットを日常生活で活用し、海外からの観光客を多数受け入れているエジプトという近代国家で、独裁国家のメディア統制のようなことが完璧に行われるはずもないのです。インターネットもソーシャルメディアもその利便性を一度享受した人々が、再びそれがない生活に戻ることなどできない生活の出需品です。政府といえども人々からそれを奪うことは弾圧となり激しい抵抗に会うことになります。

 

それでは、国家や時の政府にとって、インターネットやソーシャルメディアとはどのように扱うべき存在なのでしょうか?

インターネットは情報インフラとして国家の経済活動の発展や情報化の充実に貢献し、国を富ませ、国を超えた活発なコミュニケーションを創造してきました。特に国民一人一人にとって言えば、個人の情報収集能力と情報発信能力が飛躍的に高まり、かつてない“ものを言う市民”を生み出しました。

 “ものを言う市民”と国家や政府はどう付き合っていくのか?

国家は情報を広く発信するだけでなく、市民の声をいかに聴き、それを政治に有効に取り入れていくことが重要な時代になったといえるでしょう。聴こえるものを聴かない。対話できるのに話さない。こういう国や政権では21世紀は乗り切れないでしょう。

 

なんていうことを書いていて、ツイッターの講演の際によく引き合いに出すトピックスを思い出しました。

「当社はツイッターとかはやりません。という企業がいますが、その企業がツイッターのアカウントを持っていなくても、ツイッターのなかでは誰かがその企業について何らかのツイートをしています。それはその企業だけが、ただ目と耳を塞いでいるだけです」

ということ。

その昔、マスメディアを自由にコントロールして一方的に情報発信していた国家、そしてやはり同じように大量の広告出稿によって自由に情報発信をしていた大企業こそが、今このソーシャルメディアの時代にコミュニケーションの変革を目指していく必要があるとうことです。