ゲーミフィケーションに必要な事

 4月1日の日経新聞朝刊の1面コラム「春秋」でゲーミフィケーションの事をラジオ体操の出席カードのスタンプを例にとって説明していました。
「春秋」の筆者は毎日カードに並んでいくスタンプが楽しみでラジオ体操に通った。健康うんぬんの理屈より、スタンプを集める楽しさが人を動かすのだと。まさしくゲーミフィケーションの自然な運用がそこにはあるなあと思いました。

 かつてセールスプロモーションの領域においては、ゲーミフィケーションという言葉が登場する以前から、スタンププログラムやテレプロモーションといったゲーム手法を導入した販促施策は数多く開発されて来ました。ただこれらの手法の目的は、送り手(メーカー)が新製品のトライアルや拡販を達成するために消費者の購買までの障壁を下げること。正面からお願いしてもなかなか実現しないことに対して、攻め口を変える、つまりオブラートの役目を果たすという意味合いが強いのです。このような送り手の都合が優先されたゲーム化では、消費者の方も素直に感動してハマるには今ひとつ物足りなかったのではないでしょうか。

 私はゲーミフィケーションの主たる構成要素には、参加者(顧客)の「本気でやれば効果が上がる事は分かっているんだけど、なかなか続かないんだよねえ」という、自発的で純粋なやる気を送り手が後押しするという一種の正義が不可欠だと感じています。
英会話などのスキルの習得のための継続学習やダイエットやスポーツなど日々の健康習慣の維持など、頭では理解できているのにいつも挫折してしまいますよね。そこに至るまでの決して平坦ではない道のりを無理なく楽しく並走してくれるような仕掛けとストーリーの環境づくりを実現できれば、そのゲーミフィケーション手法は成功したといえるでしょう。

 また前出のスタンププログラムやテレプロモーションとゲーミフィケーションの違いには、ソーシャルメディアの浸透という要素も大きく関与しています。ソーシャルメディア以前は、1対多数(メーカー:消費者)でしたが、現在ではメーカーは環境と遊び方を提供するだけで、ゲームに参加する消費者は参加者同士がそれぞれコミュニケーションをとりながら、自分流に楽しみながらゲームを進めて行く事ができます。

 冒頭のラジオ体操のメタファーで考えれば、大人から毎日もらったスタンプを友達と見せ合って、「僕は一日も休んでないよ」とか「今日はスタンプが枠からはみ出してないから、きっといい事がある」とか話しながら、朝食をとりにひとまず家に帰るのでしょう。
そういう日常にとけ込みながらワクワクできる体験が、ゲーミフィケーションには求められているのです。