私は元来コンピューターゲームというものがあまり好きになれなくて、巷の評判につられて話題のゲーム機やゲームソフトを買っても、どれも途中で飽きて投げ出してしまいます。
そんな私が唯一継続して遊んでいるのが、Facebook上のCityVilleというソーシャルゲームです。
始めたきっかけは、複数の友人からあまりに頻繁に、隣人になれとリクエストが来るのでそれに屈しました。気がつけばもう1年近くやっています。毎日何分か、ほぼ決まった時間にせっせとゲーム上のルーティン作業をこなし、隣人(友人)からのリクエストを処理します。CityVilleというゲームの性格上、別にたいして熱くなるわけでもないのですが、やらないと何か忘れ物をしたような気がして落ち着かない。このソーシャルゲームの習慣性や離脱のしにくさの秘密は一体どこにあるのでしょうか?
お盆時期の暇にまかせて、ちょっと考えてみました。
隣人(友人)のリクエストを無視するわけにはいかない。
もちろんバーチャルな隣人なのですが、自分が手伝わないと彼のタスクが完了しないから、とりあえず頑張る。
時間が経つと、農作物が枯れたり、船の積荷がだめになる。
こうして8時間毎とか12時間毎とか、自分の生活のリズムのなかに、ソーシャルゲームのための時間というものが滑り込んできます。
Facebookのタイムラインに、隣人たちの日々の進捗と協力依頼が流れてくる。
ああ、彼もまだ止めずにせっせとやっているんだな。と、安心感というかチキンレースというか、ソーシャルゲームのある生活が、みんなと同じ特別でない見慣れたフツーの生活になる。
ゲームの成果は一気にではなく、少しずつ淡々とやってくる。
他のゲームは知りませんが、CityVilleの場合には劇的なクライマックスやカタストロフィはありません。このゲームを続けてもやめても別にたいしたことはないと、いつも思いながら、ゲームの中のイベントを処理しています。ゲームに溺れず自分がコントロールできている気がしています。
隣人に色々手伝ってもらいながら育てた自分の街を捨てられない。
自分の街には多くの隣人たちがショップを開き、いつも隣人たちのアイコンが多数回遊して、活性化して見えます。これを自分の考えだけで一方的に捨ててしまっていいのか? と街が問いかけてくるような気がする。
ようするに、友人のススメで気軽に始めたソーシャルゲームですが、気がつけば、隣人(友人)ために、無責任にはやめられない意義深い営みにいつしか変質していくのです。
そしてソーシャルゲームにはもうひとつ巧妙なビジネスの仕掛けがあります。それはついつい自然にお金を払ってしまう、マネタイズの誘惑の力です。
「50%オフのチャンスの時だけ課金チャージをしよう」
自分はゲームの世界に翻弄されて、ひたすらお金をつぎ込むことはない。たまにやってくる50%オファーの時にだけまれにお金と遣うことがある。自分は決してゲームに飲まれていない。
これはゲーム参加者に罪悪感を与えないというソーシャルゲームの素晴らしく巧妙なところですね。
いうなれば、「北風と太陽」的な財布のヒモの緩められかたです。
自分のハマリ方をここまで分析してみたので、もうそろそろCityVilleを卒業しようと思いますが、隣人の皆さんどう思われますか?